| 【埼玉鶴瀬支部第一期生/石井正敏】 |
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私は現在、故郷徳島市に住んでいます。昭和21年9月生まれ、54才になり
ます。少林寺拳法に出会ったのが28才の時でした。町内会のチラシに、藤久
保集会所で少林寺拳法と、剣道のサークルがあると書いてありました。もと
もと四国の徳島生まれで、少林寺拳法の名前は知っていましたので、さっそ
く申し込みに参りました、が来ているのは大人・子供合わせて7、8人。あ
れ?と思いましたが、運動のつもりでいいかと思い、浴衣に雪駄履きという
出で立ちで、週2回なんとなく通っていました。大野木先生もまだ現れてい
ませんでした。1ヶ月余り(?)経った頃、もう集会所に行くのをやめよう
と思っていたその時、集会所に行くと、黒帯の学生らしき拳士が数十人おり、
練習が始まるとバラックの集会所が壊れるかと思う程、凄い熱気にあふれま
した。初めて大野木先生にお会いして又びっくり、偉丈夫な大男を想像して
いましたので、温和な坊主頭の先生を見て、心安まる思いがしたのを思い出
します。埼玉鶴瀬の創立は、こうして始まりました。
大野木先生が埼玉鶴瀬を設立されてからは、日に日に人も増え充実して参 りました。私にとっては26年前の事ですが、今でも鮮明に憶えております。 当時は先生も若かったですし、門下生1人1人に手をとって教えて戴ける のですが、とにかく全て初めての技なので、どういう風に効いて、どちらに 飛ばされるのか分からないので、ただただ先生の手をとりにいくと、瞬間、 痛さだけが残って、何が何やら分からない始末。後で技の解説をされるので すが、その練習台に指名されると有り難いやら、痛いやら・・・・。夜、風呂に 入って腕をさするのが楽しみになって参りました。大野木先生は真に少林寺 のムシ。世の中がどう変わろうが、先生の少林寺のムシは変わらないと思い ます。 私にとって少林寺拳法とは何か。私の今までの生活の中で、転機と心の支 えが4つあります。そしてその1つが少林寺拳法です。28才から約10年間、 鶴瀬に在住している間、会社の会議も出張も、少林寺の練習日は意識的には ずし、熱中しました。肉体的にも精神的にも、少林寺という枠の中で修行し てみました。何も特別のことはない、苦行でもない、単なる仲良しクラブで もない(又そうなってはいけない)、ただ小さな小さな修行であったかもし れません。しかしそれが、今の私の支えになっています。まだまだ埼玉鶴瀬 支部の一員であると自負しております。そして何よりの「幸せ」は、先生の 言う「一期一会」、まさに大野木憲三先生という少林寺のムシと出会え、 10年間、その道を間違わずに引っ張ってきてくれた事です。 埼玉鶴瀬の皆様、今は時代が違います。我々の頃は、道場の内でも外でも かなり荒々しかった事もありました。無茶な事もありました。今でも練習は きついでしょう。しかし逃げないで、正面から向かって行って下さい。私も、 時間が巻き戻せるものなら、あり余る財力ともう少しの若さがあるものなら、 埼玉鶴瀬に帰還したいと思う事があります。埼玉鶴瀬一門の皆様、どうか 30周年に向かって邁進して下さい。 □当時の石井さんは“鬼の石井”と呼ばれ(私たちが勝手につけていただ けですが!)、とにかく厳しかったのを思い出します。基本演練の質・量 共に、今の3〜4倍はあったと思います。とても優しい方でしたが、こと 練習になるととにかく妥協しない、‘自分に厳しく他人にも厳しく’を地 でいくような方でした。心臓に持病を抱えておりながらも、主座に立たれ た時は目一杯やる、常に限界迄自分を追い込んで、そして他人もそこ迄引っ 張り上げてくれる方でした。今回寄稿して戴いた文章を拝見して、私もま だまだやらなきゃ!と強く感じています。いつの日か、又一緒に修行出来 る日を夢見ています。 |
| 谷口洋一 |